福岡県の名前の由来、知ってる?
福岡の名前は江戸時代に誕生
現在の「福岡」という地名が使われるようになったのは、江戸時代に入ってからのことです。それまでこの地域は、古くから貿易港として栄えた「博多」という名前で広く知られていました。
この地に大きな転換期が訪れたのは、関ヶ原の戦いの後、筑前国(現在の福岡県西部)の領主として黒田長政(くろだ ながまさ)が入国した時です。 長政は、それまでの居城であった名島城(なじまじょう)が手狭だったため、新たな城と城下町を築くことを決めました。
名付け親は黒田長政、ルーツは「備前福岡」
長政が新しい城を築いた場所は、現在の福岡市中央区にあたる「福崎」という土地でした。 そして、慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて完成させた城を、長政は「福岡城」と名付けます。
では、なぜ「福岡」という名前を選んだのでしょうか? その答えは、黒田家のルーツにあります。長政の父、黒田官兵衛(如水)の先祖は、現在の岡山県瀬戸内市長船町(おさふねちょう)にあった「備前福岡(びぜんふくおか)」という土地にゆかりがあったのです。 長政は、父祖の地である備前福岡から名前を取り、新たな城と城下町を「福岡」と名付けたとされています。 県名の由来が他県にあるのは珍しい例だそうです。
「福岡」と「博多」、二つの名前の物語
黒田長政によって「福岡」という名前が誕生して以来、那珂川(なかがわ)を境にして、東側は商人の町「博多」、西側は武士の町「福岡」として発展していきました。
しかし、明治時代になり廃藩置県を経て福岡県が誕生し、市制施行を迎えるにあたり、新しい市の名前を「福岡市」とするか「博多市」とするかで大論争が巻き起こります。 歴史が古く、商業の中心として栄えてきた「博多」を推す声と、新しく城下町として発展した「福岡」を推す声が対立しました。
この論争は議会でも白熱し、一時は同数になるほどの僅差だったといいます。 最終的には、旧福岡藩の武士であった議長が「福岡」に投じた一票によって、「福岡市」に決定しました。
市の名前は「福岡市」となりましたが、博多側の人々への配慮もあり、新たに開通した鉄道の駅名は「博多駅」と名付けられました。 これが、今も多くの人が利用するJR博多駅の名前の由来です。
この歴史的経緯から、現在でも福岡市には「福岡」と「博多」という二つの呼び名が混在し、それぞれの地域が独自の文化や雰囲気を持っています。
まとめ:福岡の地名に込められた歴史
地名 | 由来 | 関連人物 | 主な歴史 |
---|---|---|---|
博多 | 諸説あり(土地が広い、港に由来など) | – | 古代から貿易港として栄える |
福岡 | 黒田長政の父祖の地「備前福岡」(岡山県)に由来 | 黒田長政 | 江戸時代に福岡城と城下町が築かれる |
福岡県、そして福岡市の名前は、江戸時代に黒田長政が、自身のルーツである岡山県の「備前福岡」にちなんで名付けたことに由来します。古くからある「博多」という地名との間には、市の名前を巡る歴史的な経緯があり、それが現在の福岡市における「福岡」と「博多」という二つの顔に繋がっています。 次回福岡を訪れる際は、この歴史の物語に思いを馳せてみるのも面白いかもしれませんね。
参照された情報源 (Google検索より):